「ダイバーシティ(多様性)」というカタカナ言葉が市民権を得て、普段使いになったのはここ10数年くらいでしょうか。英語のdiversity(多様性)は元々ラテン語のdiverstias(対立、不一致)に由来し、どちらかと言うとネガティブな表現であったようですが、17世紀頃より現在と同様のニュアンスで用いられるようになったそうです。日本語でも「やばい」と言う言葉は一昔前であればネガティブな表現であったと思いますが、現在では逆に最上級の肯定、感動の表現として用いられるなど、言葉は生き物なんですね。

ところでポリフォニー音楽が盛んであった16世紀には、イタリアをはじめ様々な地域で音楽理論書が出版されました。例えば、ハインリヒ・グラレアヌスによる「ドデカゴルドン / 1547年」、ニコラ・ヴィチェンティーノによる「現代の実践に適応された古代の音楽 / 1555年」、ジョゼッペ・ツァルリーノによる「ハルモニア教程 / 1558年」などが有名どころでしょうか。太陽の沈まない国として栄華を極めていたスペインでも、音楽理論家、オルガニスト、ドミニコ会の修道士であったトマス・デ・サンタ・マリア(ca. 1510 – 1570)が1565年にバリャドリドで「ファンタジアの演奏技法書」を出版しています。

ファンタジアは16世紀に数多く作曲された作品群で、当時のポリフォニックな声楽曲をお手本にした器楽曲となります。声部間でのモティーフの模倣や、楽器の特性が活かされた即興的フレーズ等で構成されています。日本語訳の「幻想曲」だとあまりイメージが湧かないかも知れません。元々の語源は古代ギリシャ語の「φαντασία(phantasia)」に由来しており、「見ること」「想像すること」「創意すること」など複数の意味がある言葉なので、一言で翻訳するのが難しい概念なのでしょう。

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上記のサンタ・マリアによる理論書の正式なタイトルは副題を含み「鍵盤、ビウエラ、3声または4声以上で演奏可能なあらゆる楽器のためのファンタジアの演奏技法書」という長いものです(実はさらに続くのですが、それについては割愛)。第1巻が26章、第2巻が53章という膨大な項目を要しており、その執筆には16年もの期間を要したとの事ですので、まさにサンタ・マリアの音楽思想の集大成と考えて差し支えないでしょう。

第1巻ではソルミゼーション、タクトゥス、旋法、鍵盤楽器の奏法など当時の音楽教育における基礎的事項について、続く第2巻では協和音と不協和音、声部間の模倣を用いた対位法とその即興、ミーントーンの調律法などについて、それぞれ詳細な説明がなされています。

冒頭で「多様性」という言葉に触れたっきり、突然16世紀の理論書やファンタジアに話が移り、なんだが釈然としない印象を持たれた方もいらっしゃるかも知れませんが、それは「ファンタジアの演奏技法書」第2巻の協和音に関する説明に話が繋がる寸法になっております。当該箇所をざっくり要約すると以下の様な内容です。

<音楽で用いられる協和音はユニゾン(オクターブ)、5度、3度、6度の4つで、前の2つは「完全」協和音で、後の2つは「不完全」協和音に分類される。完全協和音はそれ自体が最も安定し、不変な和音である一方、不完全協和音は「長3度・短3度」「長6度・短6度」のように変化しても協和音を維持する点で不完全と呼ばれる。不完全協和音は連続して用いる事が出来るが、完全協和音は一部の例外を除いて基本的に連続して用いる事は許されていない。なぜなら「音楽とは変化に富んだものであり、協和音の多様性から成るものである」という定義に反するからである>

すなわち3度や6度は連続しても譜例のように長短が適宜混じることになるが、5度やオクターブの連続はずっと完全協和音が続き、変化や多様性に欠ける。それが音楽の定義、本質から遠ざかるので禁じられているという事です。

 

 

 

また以下の様な言葉でこの章を締め括っております。

” 協和音に多様性があればあるほど、音楽はより完成されたものになる。これは、自然のものにおいても人工のものにおいても明らかである。すなわち、多様性(diversidad)や変化が大きいほど、優雅さや完成度が増し、それに伴ってより大きな喜びや快さが生まれるのである。植物や絵画においても多様な色彩で飾られているほど美しく見えるのと同じである ”

このサンタ・マリアが語っている内容と大変似通った事を、同時代のツァルリーノも「ハルモニア教程」の第3部(対位法)で触れています。

” 調和とは、すべて同じであるものではなく、むしろ異なり、不一致があり、互いに反するものから生まれることを、古代の人々は悟っていた。… それゆえ、連続してユニゾン、オクターヴ、または完全5度を用いてはならない。なぜなら協和性の調和数は、その進行や自然な秩序の中に、同じ比率が2度連続して現れることを含んでいないからである ”

通奏低音や現代の和声学を少しでも学んだことのある人でしたら、連続5度や連続8度は禁則として馴染みがあるでしょう。しかし、なぜそれが禁則なのかという事はあまり気にせず、なんとなく「響きが良くないのかな?」なんて理解でそれぞれの課題をこなしていることが多いかと思います。もちろん響きの問題ではあるのですが、その背景には数量的な変化や多様性を保ち、それぞれの声部を同化させずに独立させる目的があったという事を知ると、目から鱗かもしれません。